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たまたま連休の中日にぽっかりと予定があいた。天気もいいので、久々にMR4Fの調子を見ることにした。「神奈川自転車散歩」というガイドブックから、身近なところを探し出した結果、金沢八景方面へ目標を定めた。早速環状2号線で磯子方面へ向かい、「ツールド金沢」のスタート地点である横浜米サイドマリーナへ到着。スタート地点といってもここまで1時間かかった。丁度、中古ボートの展示会をやっていたが、1人でもあることから、あま りじっくりと見物しておれず、そそくさとスタートすことにした。休日の工業団地は道幅が広くしかも車がないので、走りやすい。このあたりで昼になったので、食事にしようとしたが、工業団地内でまったく食べるところがない。しかたなく、海にでたが、やはり食べるところはなく、釣り客やバーベキュー客を横目にみながら、八景島シーパラダイスへ向かうことにした。 シーパラダイスのあたりは風景もよく、結構気持ちがいい。また、横浜唯一の海水浴場である海の公園も芝生があるし、のんびりしていて休みやすそうだが、お腹が減ってきたので、先に進むことにした。海の公園からは野島公園へ向かうのがガイドブック上の「ツール」のルートであるが、だんだん疲れもでてきたので、金沢八景の駅に向かった。結局、駅前のラーメン屋で食事をして、16号線で北上したため、ツールド金沢の半分だけの行程となった。久々だったので、途中何度も止めようかと思ったが、頑張って、自走で帰宅した。合計51.5キロ走り、脚ががくがくになった。 この時期、新高校3年生をターゲットにしたオープンキャンパスがいろいろな大学で開催される。自分自身は付属校だったのであまり意識しなかった受験も、息子にとってはいよいよ一大事であり、一応通える範囲の学校を見て回っている。息子にとっての基準はよく分からないが、少なくとも高校の教養より、大学の専門の授業が面白いとの感触らしい。自分が入りなおしたいくらいだ。
本当は静岡にポタリングの予定が、雨のため急遽甲府の先の竜王駅までいって、デイキャンプをすることになった。青春18切符を実際に使うのは初めてであった。予め3人が新宿に集まり、一度改札をでてから一緒に入場する。鈍行で中央本線を進み、八王子で相模線の1名と合流した。八王子までは通勤電車のような感じだったが、八王子あたりからは、ボックスシートの車両と なる。そうなると自転車もないし、急にビールのピッチが激しくなる。切符をどうしても使わなければならない理由があるため、半ば強引にこの時期にデイキャンプとなった。後で知ったのだが、安藤忠雄氏設計の竜王駅は突貫工事中で、本当に期限までに終わるのかと思った。地元のスーパーで中年なりの多すぎないくらいの食材を揃え、タクシーでキャンプ場へいく。 誰もいないと思った雨のキャンプ場には、先客がいた。今回は寒かったこともあり、思いのほか、お酒の熱燗が進んでしまった。持ち込んだ酒では足りずにキャンプ場のワインを暖めて飲んだのも結構きいた。帰りは川の対岸にある町営温泉により、ちょっと居眠りをして、今度は韮崎駅にタクシーで向かう。韮崎から甲府まで戻り、ほうとうを食べて帰路についた。いろんなところで自由に乗り降りができるので、青春18切符の旅も結構いいもんだ。財布を忘れてしまったが、何とか帰ってこれた。 伯母さんがなくなったため、休みをとって鴨川にいった。妻と母のほか親戚をつれて、朝9時前に到着すると、丁度出棺間際であった。こちらの場合は、先に火葬し、お骨にしてから告別式になる。告別式と繰り上げ初七日を済ませると今度は、そのまま埋葬となった。とにかく一日のうちにすべて済ませるらしい。お墓は海の見える高台で本当に景色がいいところだが、お年寄りには酷である。その後精進落としを行ったが、食べきれないほどの食事や9品もある香典返しにびっくりしながら、帰ってきた。やはり田舎には田舎のやり方が残っているらしい。
ランドマークタワーのホールで開催された首都圏広域地方計画のためのシンポジウムに参加した。住んでよし、訪れてよしの首都圏についてのパネルディスカッションでは、世界中の大金持ちが日本に来るのを面倒くさがっていることを知った。なぜかというと小型専用ジェットを着陸させる空港がないことと、仮に着陸できても入国審査を一般人と一緒に並んでやるのが面倒なのだそうだ。そうしたハード面、ソフト面のことも含めて考えないと国際都市にはならないらしい。
ここ最近、まともに飾りつけしなくなっている雛人形。かわいそうだが我が家の住宅事情を反映して密集状態になってしまっている。ひな祭り後に早くしまわないと嫁にいくのが遅くなるとのことらしいが、未だにしまっていない。でも自分の実家にある妹のは、ガラスケースに入ったコンパクトなひな人形、すぐにしまえる。一方、妻の実家のは7段飾りで、きちんと飾ると3畳くらいになる。仕舞いやすさは婚期とは関係ないようだ。
昨日入れなかった部屋の風呂にゆっくり入り、午後11時すぎに強羅駅にいく。ほぼ同様の時間帯でチェックアウトする観光客が多いようで、駅にも多くの人が電車を待っていた。それでも昨日の箱根登山線は満員で立ってきたが、今日は座ることができた。ケーブルカーが動いていたので、少しは分散したのだろう。 誰も降りない箱根板橋で降りる。ここは「箱根板橋」という駅名だが、れっきとした小田原市である。明治時代の政財界の大物の別荘が多く、今も残っているのだ。始めに日本最初の水道と呼ばれる小田原用水を探し、その後に電力王の松永安左ェ門の住宅「老欅荘」などを見て回った。 マイナーな観光ルートであると思っていたが、割りといろんな人にすれ違うあたり、結構メジャーなのかもしれない。近くには実業家大倉財閥の別荘であった割烹旅館山月なども残っているが、現在は使用されていない。大正時代の建築でもあり、うまく使えればいい感じなのだが、もったいない。 その他にも山縣有朋の別荘跡地である古希庵にもいってみたが、建物は残っておらず庭園のみであった。旧東海道沿いには、写真のような古い建物(これは醤油屋さん)がいくつか残っており、どう残していくかが今後課題となるエリアだと実感した。 最後は、遅い昼飯を飛び込んだラーメン屋で食べたが、ついつい勢いでビールを頼んでみると、なんとラベルに「箱根」の文字が・・・やはり、小田原市内ではあるが、ここの意識は箱根なんだな~とつくづく思った。ダイエット中にもかかわらず、完全に1キロ以上増えた2日間であった。
小田原の曽我梅林にいった。丁度梅祭りの時期で、国府津駅からの御殿場線はたった3両くらいしかなく、梅見の客でぎゅうぎゅう詰めであった。さらに御殿場線はJR東海なので、スイカやパスモが使えないため、その清算に時間がかかり、階段からホームまで長蛇の列ができてしまい、中々前に進めなかった。それでも予め国府津で改札をでて、切符を買っておいたのが功を奏し、結果的には10分くらいでスムーズに出れたほうだ。 駅に降りると五郎十郎市の垂れ幕があった。有名な曽我兄弟の物語であるが、実は小田原にいくまであまり知らなかった。今は南紀の南高梅に対抗し、十郎梅の売り出しに躍起になっているようだ。すこし歩いたら屋台があったので、腹ごしらえにビールと鯵寿司、春巻きなどを食べた。何しろ強風には参った。 白、赤、しだれなど様々な梅があるのに気づき、とりあえず写真を取りまくったが、富士山が見えるポイントに来ても今日は富士山が見えない。仕方なく沢山の梅があるのでそれなりに壮観な絵になるのだが、やはり桜に比べると心躍る度合いは少ないかもしれない。駅に近い原梅林から少し遠い別所梅林まで歩く。これまで梅見などに行こうと思ったことがなかったが、老若男女これほど人がいるとは思いも寄らなかった。 何となく正式な梅売り場から、農家が勝手にやっていそうなおでん屋さんなど様々であるが、ここにきたら梅干を買わなければならない雰囲気である。我が家では実家の母が自分でつくる梅干をくれるのだが、折角なので試しに買ってみたが、後で食べるとかなりしょっぱくて食べきれなかった。母が曽我の梅干について、「一段落ちる」といっていたのを思い出した。 下曽我から小田原を経由して箱根強羅までいった。強風でJRが遅れたので、予定より1時間も遅れてしまったが、予約していた手もみマッサージの時間には間に合った。宿はまだ新しく古い旅館のイメージから脱却したタイプのところであった。そこかしこにいろんな装飾があったりして、工夫が見られる。しかし、手もみマッサージが最悪であった。若いスポーツマンのお兄さんが力任せに揉むものだ から、ものすごく痛い。でも効果がある?と思っているから我慢していた。確かにその日は肩や腰が軽くなったが、後で揉み返しがひどかった。寒い寒いと天気予報できいていたが、何しろ強風であった。そのため、本日は折角の部屋付き露天風呂には入れずじまいであった。
横浜赤レンガ倉庫でシンポジウムが開催された。パネリストとして、TVでおなじみの桐蔭横浜大学の涌井教授、元アナウンサーの青森大学見城美枝子氏、能登半島のよしが浦温泉ランプの宿の刀祢(とね)社長である。通常、景観関係のシンポジウムでは、割りと個々具体の景観対策などがテーマになる。しかし、今回のシンポジウムは、神奈川県が設置しようとする「景観会議」という集まりの設立に関するものだけに、直接的な規制など具体的なものでなく環境や観光なども含めた理念的な話が多かった。いずれにしても、これからの具体的な行動に期待したい。 以前、上司が500円貯金をやると結構貯まるよとの話をしていたので、少し前からやっていた。100円ショップの100,000円の缶でやっていたのだが、概ね7割くらい貯まったようなので、開けてみた。すると、なんと105,500も貯まっていた。流石に100円ショップの缶は不正確だなと思いつつ、思いのほか貯まっていたのがなんともうれしい。
ずいぶん前に作られた建物のパネルを見る機会があった。建築関係者ならとっくのとうに見ているのだが、温暖化が懸念される中でもあり、建築分野以外の人たちにも興味がかなりでてきているようだ。まだまだ、初期投資額に比べ、節電効果は大々的にはなっていないが、徐々に進むものと思われる。確かに、文化的な生活をしている世界人口が急激に増えているので、原油などの供給が足りないのだろう。今後インフレ傾向になるかもしれないが、日本は省エネ技術をもっとPRできるのではないか。そんな大きなことより、まずは櫂より始めよで、車でなく、歩いたり、自転車に乗ったりすることが大事だ。
ずっーと飲まなかった日本酒。最近、徐々に飲み始めており、やはり美味しい。基本的に好きなのだ。蒸留酒より醸造酒があうのだが、自分にはあうと思っている。特に冬場はどうしても氷をいれたり、冷やしたものより、常温のものがいい。ついつい飲みすぎてしまうことを除けば・・・である。
厚木飛行場の移転とか、どちらの主義主張がよいとかは別として、市長と議会の主張が食い違っていた自治体がどうなってしまうかを注目していた。自分の首をかけても、議会を説得しようとしていた市長は、市民の付託があると絶対的に自信を持っていたのだろう。一方では、そうはさせないと自民と公明が国政レベルからてこ入れしていた衆議院議員を擁立し、結果的に2千票差くらいでその候補が勝利した。葉山もこのような事態に陥るか心配である。そして、藤沢や小田原もこれから市長選挙である。
横浜駅周辺大改造計画が動き出している。関内、元町からMM21、そして最後の仕上げとして横浜駅周辺の大改造に取り組むとのことで、普通は行政計画として「大改造」と銘打つのははばかれるところであるが、そこは流石に横浜市、大胆である。 H19年度中、すでに5回くらいの会議を経て課題と基本的な方針を打ち出している。まずはなんといっても建物の老朽化、そして河川氾濫などの災害に対する脆弱性だ。そして、広場や文化施設が少なく、歩行者空間も不足しているなど、いくつかの課題がパネルディスカッションであげられていた。自分が生まれた頃の西口の写真が展示されていたが、多分、この大改造計画が見えてくるのは後20年とか25年は係るだろう。 パネラーの一人に外国人ジャーナリストがいたが、いつでも横浜駅は工事中であること、屋台が消えてしまって残念なこと、再開発しても狸小路(狭い路地の飲み屋街)などの負の部分を残して欲しいなどと面白いことをいっていた。今後、どのようになるかを見守りたい。
亡くなった父の海技免状3種類を横浜にある関東地方運輸局へ返却した。航海とか機関とかいろんな種類があり、それぞれどんな資格なのか、自分にはよくわからないが、考えてみればこの免状のお陰で自分達は育ててもらったわけだ。そう思い、できれば記念に持ち帰りたいというと、大臣の判子の部分に穴を開けて返してくれた。感謝しなくてはならない免状だ。
商店街の皆さんとの話し合いを行った。約30名の商店会長等のほか、市会議員などが傍聴する中で、意見交換するのだが、ひとりひとりが持論を展開するので、それにひとつひとつ答えているだけで、3時間がたってしまった。全国的に中心市街地が衰退する中で、簡単に解決できるような方法はなく、まずは皆で知恵を絞って動いてみるしかないのではないか。それにしても疲れた~。
自分が所管する課が表彰された。これまであまりこういうものに興味もなく、エントリーもしないことが多かったのだが、まずは出してみたら、ということでその結果表彰されてしまったというところである。印刷された表彰状でなく、すべて毛筆で手書きだったので、あまりの字のきれいさに皆関心したものだ。仕事そのものは問題、課題が山積する中でもこんなことがあると、明るくなる。なんといっても、表彰も意味があるな~とつくづく感じた。
聞きなれない言葉だが、ここ2年間くらい小田原で研究が進められていたテーマである。景勝地や観光地などの特別な景観でなく、普通の生活や生業の景観を見直そうとするものだ。昨日、2年間の研究発表があったが、2つの町内会が協力し、ワークショップなどを開催しながら研究したらしい。デコレーションでない景観という意味ではまさに納得である。
朝の8時から朝食を食べながら会議が開催されている。毎回いろんなテーマが設定されるが、今回は自分の仕事をテーマとしてもらった。いつもより30分早く出るのがつらい。1000円の朝食は地元の有名なパン屋のサンドイッチ、クロワッサン、ポテトサラダで、どう見てもコンビニで買ってきた方が安いのである。結局、朝5時台に朝食を食べていたので、これは昼食となった。
一面が銀世界となる雪は久しぶりだ。昨日の天気予報がばっちり当たったのだ。実家に行ったり、灯油を買いに行こうと思っていたが、チェーンがない(あっても面倒な)ので、今日はあきらめることにした。子供の頃は、学校が休みになるかもしれない期待もあり、また、なんとなく外の音が消えてシーンとした感じが好きでうきうきしたが、最近は、寒いし、雪かきをしないとならないし、通勤も面倒だし、ということで心配ばかり増えてしまう。とはいえやはり異次元な感じが好きである。
ずっと企画担当として検討を進めてきた講演会と見学会を開催した。「翌日には雪の可能性あり」との天気予報もあり、天気が心配だったが、お陰で天気は悪くなかった。大磯駅にスタッフ一同集まり、タクシーで大磯プリンスホテルへいく。40名の枠に70名ちかい応募があり、溢れた人たちにはお断りをしたくらいなので、参加費は当日払いだったが、欠席する人も1名 のみだ。前半は神奈川県の「邸園文化圏再生構想」の講演である。湘南地域に残る別荘建築や庭園を保存するための仕組みづくりを行う職員提案事業である。続いて、学識経験者による旧吉田茂邸、というより設計者の吉田五十八の設計手法などの説明があり、見学会へ移った。 庭園内にある「七賢人の祠」や「吉田茂銅像」などの説明を受けながら、庭園を歩く。最初は4賢人だったのが、だんだん増え、6賢人になった後に、自分が入って7賢人になった話。銅像が向いているのはサンフランシスコであること、など興味深い話を聞き、建物内部へ入る。昭和26年の設計であるが、小舞竹のかわりにアルミが使われていたり、徹底的に建具を薄く見せようとしたり、かなりこだわりのあるディティールを考え出していることに気づかされる。所有者の西 武鉄道さんとの約束で、建物内部の写真は撮らせないことになっていたのが本当に残念だ。もともとは自分自身が「吉田茂邸を見たい!」といったのが、自分で企画や準備をする羽目になり、ほとほと面倒くさいと思っていたが、無事成功して一安心し、慰労会もついつい長くなってしまった。
先日、職場の机に置かれた一枚のはがき。私の仕事にいつも批判的な市内有力企業の会長さんからのl時節の挨拶状だ。当然、私の同様の立場の人間にも送られていると思いきや、私だけに送られていた。なんとなく気味悪さが残るが、わざわざご当地切手が貼られているところがどこかかわいい。「?????・・・・」
昨晩、久しぶりに「外では飲まないで!」と言われている日本酒を飲んでしまった。つい調子に乗ってしまったためか、本日はちょっとボケが入っていた。昼食後にいつも歯磨きをするのだが、何故か歯ブラシと洗顔石鹸を持って洗面所にいってしまった。普通、どう考えても間違えるはずがないのに! これは日本酒のせいか、はたまた歳のせいなのか。実は天然だったのか?
iPodを使って音楽だけでなく、様々な音声データ(番組)が聞けることが分かり、ここ最近は毎日ダウンロードにいそしんでいる。ブログにしてもPodCastにしても、3年前にはまったく知らなかったことばかりだ。落語、インタビュー、ドラマ、セミナーなどどんどんダウンロードしてしまうため、聞く暇がないのが悩みだ。
昨年末で13歳なので人間であればかなりのお年寄りの部類にはいる。ちょっとずつ階段登りの速度も遅くなり、散歩の時に転ぶ?こともある。毎年、この時期は寒いので、夜は室内犬になるが、最近は夜遅くなると、暖かい居間からわざわざ寒い寝床の玄関へ自分で移動して寝てしまう。人間も犬も年を取るとマイペースになるんだろうか。
技術者の親睦会主催のバス旅行である。朝一番に小田原に集合し、貸切バス2台で大宮に向かう。できれば途中で拾ってもらいたいところだったが、最後まで高速なので、合流しずらいため、仕方なくいつもと同じ時間に家をでる。ガイドさんにトイレ休憩は1箇所のみと脅かされ、皆飲むビールのピッチが遅い。正月の後で給料日の前だったためか、土曜日にしては首都高が空いており、11時に大宮のホテル についてしまった。その後、鉄道博物館へ向かう。昨年10月のオープンだが、未だに混雑しているようで、一般者の駐車場は20台くらいの待ちだった。中はかなり広く、古い車両や部品などが陳列されている。鉄道マニアなら何回来てもうきうきするのだろう。我が子もその一人なので帰ったら教えてやろう。 そんな中で、自分にとっては天皇皇后が使用された御料車が興味深かった。その他相鉄線の鉄道模型も懐かしかったが、古いテレビやトースター、チキンラーメンなど陳列車両が活躍した時代の品もあって、ついつい写真を撮ってしまった。特に子供たちがテレビのチャンネルは手で回すことを知らなかったので、これで説明できると思ったくらいだ。約1時間半で見学は終わり、川越へ向かった。もうトイレの心配 をせず、ビールを飲める。川越は確か以前2回たずねたことがある。今回は自由行動なので、一度もいけなかった川越城へいくことにした。が、本丸御殿しか残っておらず写真を撮ってすぐに菓子屋横丁へ向かう。ここは道が狭いこともあり、また品も安くて面白いし、食べたいしでいついっても人がごった返している。名物の芋羊かんや芋せんべいを子供用に買い、一応蔵の町並みにでる。 途中、裏路地で狭山茶を買った。テレビドラマで武田鉄矢狭山茶を作っていたのを思い出してついつい手がでてしまう。最近晩酌をしない時はお茶が妙にうまいことも思う。その影響があるかもしれない。川越に来るといつも思うのだが、蔵の町並みがある通りを一方通行にするなど歩行者を歩きやすくするとより沢山観光客がくるのではないかと感じる。お店をやっていない家庭には大変酷な話だが、そういう ことも含めてまちづくりの議論をするのが、今後の課題かもしれない。川越を4時前に撤収し、帰路に向かう。途中、大和バス停で降ろしてもらえるはずが、バス会社から「止まれない」との回答だったらしく、結局小田原まで戻ることになった。
2月に開催を予定しているイベントの打ち合わせのため、早引きして大磯プリンスホテルへいった。ひと通り打ち合わせが済んだ後、見学会会場である旧吉田邸まで歩いてみた。参加者が文句をいう距離かどうか確かめたかったからだ。自分の足で12分くらい。遅い人でも15~16分で大丈夫そうだ。 だめな人はタクシーでいってもらうことにする。通常では内覧できないが、今回は建物内を見せてもらえるため、既に定員オーバーの人気企画になった。後は天候がよくなることと、うまくいくことを祈るばかりである。
明日、阪神淡路大震災発生から13年目になる。そんなことを意識してか、職場の防災訓練が行われた。朝6時30分に携帯へメール送られ、安否確認等が行われた。到着してからは避難訓練や消化訓練などが行われた。屋内消火栓からの消化訓練では、最細の45ミリのホースであったが、一人で持つとかなり後ろに引っ張られるような感触であった。60ミリ以上のホースを1時間も持ち続ける消防職員はかなりの体力が必要らしい。
職場でも咳き込むことが多かったため、ペットボトル2本に水を入れてふたを開けておいていた。そうしたら、こんなタオルを用意してくれた人がいた。自分の席の前には大きな観葉植物もあり、二日おきに水をやってもらっているのだが、さらに湿度を維持できる。半日くらいで渇き気味なるので、こんなアナログ装置でも十分機能していると思う。
全国で過去最低となった新成人。神奈川県内でも調査開始の1973年以来3番目に少ないそうだ。本日の主役である我が娘も成人式に出席するために、朝から姪や義母に髪のセットや着付けをしてもらった。私にできることといったら、唯一送り迎えなどをすることだけだ。三編みが頭に一周くるっと巻きついているし、服につけるコサージュもついており、結構奇抜な髪型だが、娘は満足げだった。聞くところによると、もっと派手な人がいて、いろんな色が髪についているのが本流らしい。いずれにしても親としても20年経過したわけで、それはそれで感慨深い。
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